映画

【ハウルの動く城】映画と原作小説との違いは何?あらすじとソフィーのその後

映画「ハウルの動く城」は2004年に公開された、スタジオジブリの長編アニメーション作品です。日本で公開された映画では歴代5位の興行収入を誇る、宮崎駿監督の代表的な作品です。

この「ハウルの動く城」ですが、実は原作が存在します。

それは、「魔法使いハウルと火の悪魔」(原題Howl's Moving Castle)という、イギリス人の女性ダイアナ・ウィン・ジョーンズというファンタジー作家の作品です。これは1986年に出版され、1997年に日本語訳が登場しています。

 

これらの作品には、あらすじやストーリー展開、キャラクター達の違いや結末に至るまで、少しずつ違いがあります。

そこで、ハウルのどのような違いがあるのか、原作と映画版を比較してみました。

ハウルの動く城の映画と原作の違いは?

映画の「ハウルの動く城」と原作ではあらすじや設定などで様々な違いが見られます。

具体的には、

  • 映画と原作では「城」が違う
  • ハウルは原作ではプレイボーイ
  • サリマン は原作では男
  • 原作で戦争は出てこない

これらの違いがありました。

他にもたくさんあるのですが、今回はこれらについて各シーンとも照らし合わせながら詳しく説明します。

映画と原作の「城」の違い

映画「ハウルの動く城」では、金属で覆われ、ギシギシと音を立てながら歩いて移動する城です。

一方原作の城は、ごく一般的にイメージされる西洋の城で、宙に浮いて移動します。

 

また映画では、城中の部屋のドアのぶを回すと、色別に違う街へ行けましたが、原作ではそのドアはハウルの実家につながっています。そこにはハウルの家族がいて、リアルに兄弟などがいる一面が垣間見える場面もあります。

https://twitter.com/senkou_kikai/status/1162321561107361792?s=20

ハウルは原作ではプレイボーイ

映画「ハウルの動く城」では、序盤でソフィーが妹のレティーが働くパン屋に向かう途中、兵隊に言い寄られるソフィーを紳士的に助けます。

一方原作では、ソフィーとの出会いこそがナンパで、ハウルが外出する理由の殆どは、女の子をナンパする為だと描かれているほどプレイボーイです。

原作の中では、なんとハウルがソフィーの妹、レティーを口説いているシーンも見られます。

映画「ハウルの動く城」では明確に描かれていませんが、「ハウルに見つかると心臓を食べられる」という噂が流れているのは、ハウルが女好きで、その美貌をもって女性を虜にしてしまうからだという理由からかもしれません。

サリマンは原作では男

王室付き魔法使いのサリマンは、映画「ハウルの城」では女性として描かれていますが、原作では男です。

映画では、魔法使いハウルの師という設定で、外の世界の戦争を簡単に終わらせられる程の威力を持っていますが、原作のサリマンはハウルの同期です。

 

また、原作のサリマンは「荒地の魔女」を倒すために向かうのですが、その際に「荒地の魔女」にバラバラにされ、案山子の一部(心)にされてしまいます。

 

この案山子は、映画「ハウルの動く城」では「カブ」という名前で、ソフィーに助けられたのち、ハウルの動く城へ導きました。終盤ではソフィーのキスにより魔法が解け、隣の国の王子に戻ります。

原作では、荒地の魔女が自分の好みの人間を作るため、複数の人間をバラバラにし、好みのパーツをつなぎ合わせて一つの人間を作るのですが、そのあまりで作られた案山子(名前もなく、そのまま「かかし」)という、大きな違いがあります。

また、原作では恐ろしい存在としてソフィーから避けられています。

原作で戦争は出てこない

映画「ハウルの動く城」では、ソフィーたちのクラス国と隣国との戦争が描かれています。

王室付きの魔法使いでハウルの師匠であるサリマンは、戦争に参加せよという王様からの指令に背くハウルに、戦争を手伝わせようと対立します。戦争が嫌いなハウルはそれに逆らいますが、中盤ではソフィーのために戦おうとします。

映画の終盤ではサリマンが「この馬鹿げた戦争を終わらせましょう」といい、戦争が終わっていくことを匂わせます。

一方原作では戦争は描かれていません。

原作では、王室は荒地の魔女の退治をハウルにさせようと躍起になっていることが描かれており、映画のようにハウルと荒地の魔女が若いするようなストーリーはなく、対立関係のままです。

映画で戦争という描写を入れているのは、宮崎駿監督が「戦火の恋」を描きたかったためと言われています。

ハウルの動く城と映画と原作の結末の違いは?

映画「ハウルの動く城」も原作も、ストーリーに少しずつ違いがありますが、結末はどちらも大団円を迎えるということ。

ハウルとカルシファーの命は助かり、ハウルはソフィーと結ばれます。

案山子は映画版では隣国の王子に戻り、戦争を終わらせると言って隣国へ帰っていきます。

https://twitter.com/solataso_p/status/1231572650960379909?s=20

また、原作での案山子も、「荒地の魔女とその黒幕」を倒すことに成功し、魔法が解けてサリマンは元どおりになります。

ハウルとソフィーのその後

映画「ハウルと動く城」の原作となった『魔法使いハウルと火の悪魔』には姉妹本が存在します。

第二弾である『アブダラと空飛ぶ絨毯』の主人公は別に存在しますが、ハウルとソフィー、またカルシファーも登場します。

 

少し姿を変えての登場となりますが、ストーリーにより、ハウルとソフィーが結婚したことや、子供まで生まれていることが明らかになります。

原作との結末の違いとは?ハウルは死んでしまうのか?! 

ハウルの動く城の原作ではソフィーもハウルも二人とも死んでしまうという噂が流れたことがありますが、実際は映画も原作も、ソフィーの存在によりハッピーエンドを迎えます。

 

ただし、ここで映画と原作との違いは、原作ではソフィーは「言葉によって命を吹き込む魔法」」の力を持っていることが明らかになっているところです。

 

映画では、ハウルが子供の頃に流れ星として落ちてきたカルシファーを助け、心臓をあげる代わりに魔法の力を手に入れますが、ソフィーがそれを目撃するのです。結果的にはカルシファーはハウルに心臓を返し、自由の身になります。

死にそうになったハウルとカルシファーをソフィーが助けますが、魔法により助けることができたのはいうまでもありません。

しかし映画ではここに魔法のことは言及されていません。

ここには、宮崎駿監督が、普通の女の子が自分の意思で行動をするというところにも重きを置きたいという意図があるのでしょう。

 

まとめ

映画「ハウルの動く城」が公開されたとき、ダイアナ・ウィン・ジョーンズは「宮崎監督は私が執筆した時と同じ精神で映画を製作した」という言葉を残しています。

映画化に当たり、ダイアナ・ウィン・ジョーンズはたった一つしか条件を出しませんでした。

それは、「ハウルの性格を変えないように」ということです。

 

あらすじや結末には言及せず、映画「ハウルの動く城」を彼女は素晴らしいと褒め称えました。城ひとつにしても原作とは全然違う形となりましたが、素晴らしい発想であると、宮崎駿監督に尊敬の念を表しています。

 

何度見ても登場人物の気持ちや、原作との違いに新たな発見がある作品だと思いますので、改めて観てみるとまた新たな視点で楽しめるかもしれません。

https://amzn.to/3doKFWq

 

-映画

© 2024 いろいろサーチブログ